新しいことを始めること

子どもの頃のあたしは、はつらつとしていた。しかし、周りと馴染むのがうまいかというと、そうではなく、休み時間にみんなとドッヂボールをして遊ぶことよりと、校庭の水仙を眺めて過ごすことを選ぶような変わった子だった。一方で、いわゆる仕切り屋な一面もあり、学級委員やなにかのリーダーにも何度もなってきた。自分の意見をはっきりと言い、特に善悪に関しては鋭い視点を持っていた。

 

大人になった今、特に、この5年くらいは怒涛の日々だ。占いによれば、やれ大殺界だの、やれ転換期だの、なんやかんやと書かれている。ならば、仕方ない。そうした中で、あたしの生活も仕事も大きく変わっていった。ヒトは変化が苦手な生き物である。あたしはその中でも群を抜いて、変化が苦手だ。そんなあたしが新しいことを始め続けてきたのだ。自分のことながら、「お疲れ様」と思う。

 

現在もあたしは変化の真っ最中にいて、てんやわんやと暮らしている。今、直面している新しいこととは、「人前でもっともらしく、説明する」ということである。リーダーを務めていた自己主張の強い子どもの頃のあたしを思えば、簡単だと思うだろう。大学でも、コミュニケーション学について学び、国籍年齢ジェンダーを問わず、たくさんの人たちと交流し、かけがえのない人間関係を築いてきた。しかし、社会人となり、特に、この怒涛の5年であたしは変わったのだ。変わらざるを得なかったこともあった。そうした中で、あたしは発言することがなくなり、発言することがこわくなった。心理的安全性が保たれていなかったことで、あたし自身が弱っていったことが原因だと考えている。その結果、悲しいことに、子どもの頃のリーダーシップは、現在のあたしには微塵も残っていないのだ。

 

しかし、そんなことも言ってられない。もう着手してしまったのだから、できるようにならないといけない。毎日いろんな人に学び、たくさん練習している。とても不安だ。しかし、「初志貫徹」であることを目指してみよう。あたしがこの挑戦をしようと思った目的はなにか。人前でスラスラと話せる技術を身につけてしまえば、あたしは今よりも最強になれるのでは、と思ったからである。この目的を達成するにはどうすればいいか。教えを乞い、練習を積み重ねている。あとは、おそらく実践する数をこなすことも必要だろう。

 

挑戦には、ハッタリが大事だと言われたことがある。とりあえず引き受けてみる。それから、どうにか帳尻を合わせればいいのだと。きっと今回の挑戦も、ハッタリが必要だ。できることをやり抜いてきているのだから、あとは、ハッタリの勢いで堂々とこなすことだ。

 

新しいことを始めるのは、ヒトという生き物が苦手とすることだ。だけど、とりあえず、ハッタリかまして、やってみよう。そして、果報は寝て待てということだ。心配や不安は尽きないが、やりきるぞ。