忘れるということ

「人は忘れることができるから、生きていけるのだ」

18のあたしに、19の彼はかつてそう言った。今じゃそんなことを言ったことも、もしかしたら、あたしと毎日話していたことも、彼にとっては忘れたことかもしれない。

 

例えば、語学を学んでいて、単語帳を何周しても、完璧に覚えることができない。いつもなにかは忘れている。例えば、仕事が次から次へと流れ込んできて、大事な約束を忘れてしまう。例えば、とても辛い経験をしたが、毎日を暮らすことで精一杯で、もしくは、いまの生活が幸せすぎて、そんなことは忘れている。

 

忘れて、生きていく。

 

歳をとった祖父母が、ボケてきたから、忘れてしまうんだと言う。あたしは、大丈夫だよ、あたしが覚えておくからと言う。そんなあたしもいつかはこの会話を忘れるのかしらん。

 

すべての大事なことを覚えておきたいが、あたしは平凡な人間なので、そうはいかない。忘れてしまいたいようなこともそれなりにあるが、そんなようなものだけ、ファイルを削除するみたいにゴッソリごみ箱には入れられない。勝手の悪い脳みそだわん。

 

生き延びるために必要なことを考えている。お金はない。考え方はいろいろと教わってきたし、学んできた。それらを思い出している。新しく探してもいる。その一つが、上記の言葉だ。人は忘れる。だから、生きていける。

 

人が覚えていることはなんだろうか。印象深いことだろうか。一説に傾いてモノを言うと、人は臆病だ。危険を回避したい生き物だ。そのため、悪い記憶ほど同じ過ちを犯さぬように覚えているものらしい。寝る前によかったことを故意に思い出せというポジティブメソッドがいうのは、このせいだろう。悪い記憶を覚えているだけならまだしも、人はそれを繰り返し繰り返し反芻する。今が今ではなくなる。あの時、あの場所、あの光景、あの気持ちを、何度も何度も味わう。その先には鬱しかないが。

 

あたしはあと何年、この日を思い出すだろうか。ラベルのついたこの日を。それが特別でも、惨事でもない、なんでもない日になるのはいつだろう。なんでもない日のふりをして、あたしは今ここにはいない。一年前のこの日にいる。どんな気持ちで、どんな状況だったかは覚えていない。ただ、あたしは誕生日というものが、他の人たちよりもすきだというだけだ。生まれてきてくれてありがとう、生んでくれてありがとうなどは思わない。生き延びてきてすごい。それがあたしが誕生日に思いを馳せる理由であり、その日に生きていることを享受し、祝す理由である。

 

あたしは次のあたしの誕生日にもまだ生きている予定です。I mean not I will but I'm gonna.