ポッケの中を探してみること

「まいっちゃうなあって時にはさ、ポッケの中を探してみなよ。絶対なにか入ってる。使えるカードがあるはずだ。」

このようなことを言われたことがある。あたしのポッケは穴が空いているのだろうか。使えるものがまるでない気がする。

 

あたしは喫煙者で、週に数回お酒も飲む。最近は吸う本数と飲む頻度が増えているかもしれない。健康的なストレス解消法を調べたり、コーピングリストを作ろうとしたことがある。すでにまいってる時に、そんなものを探したとて、事前準備が甘いというもの。どれも効果が期待できそうになく、アイディアすら浮かんでこない。すると、煙草やお酒といった短絡的な対処をすることになる。これを書く前にもタバコを4本吸い、今はハイボールを片手にしている始末なので、どうしようもない。

 

こんなどうしようもない状況で、冒頭の言葉を思い出し、ポッケの中をまさぐっている。誰も欲しくないだろう経験や自分の中のドロドロとしたもの、そんなものばかりが手に当たる。たまに、あたたかい言葉や体験を思い出すが、掴み出そうとしても取り出せない。取り出したところで、あたしはハイボールを飲むのを止めはしないだろう。

 

誰も欲しくない経験は、果たして無価値だろうか。あたしの中のドロドロとしたものは、果たして不要なものだろうか。なんだか今日はそんな気分になっている。誰を欲しくない経験をあたしは恥じていない。負目に感じる状況は毎日のようにあるが、反面教師にして生きているつもりだ。あたしの中のドロドロとしたものは、吐き出そうと思えば、撒き散らすこともできるだろう。それをしないのは、自分に不利になるからで、他害する恐れがあるからだ。

 

他者との世界の中で、直接使えるカードではないかもしれないが、自分一人の世界の中で自分の忍耐強さや分別力を再認識してみた。抽出された、忍耐強さや分別力はポッケの中にいるだろうか。あたしの脳(ハードマシン)は癖が強いので、抽出に時間がかかるようだ。何年かかるだろうか。その何年かの間に、より実用性の高いカードがポッケに追加されたらいいなと思う。

 

自分の今までを全て肯定も否定もする必要はないと思うが、あたしの穴空きポッケの中にも、多少なりともなにかはあった。みなさんなら、もっとたくさんすてきなものがあるはずだ。「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせる毎日の合間に、自分のポッケに手を突っ込んでみてほしい。なにか使えるカードがきっとあるはずだ。