プライドが邪魔をするとき

あたしにはプライドなんてないと思っていた。あたしにあるのは誇りだと思っていた。Prideには、誇りの他にも、自尊心や自惚れの意味もある。

今のあたしはプライドがズタズタになっている。

 

これまでにもあったが、対人関係において、社会で耳の痛い指導をされることが多いのだ。つまりは、お前のコミュニケーションはダメだ、マインドセットを変えろということだ。単に、頭ごなしに言われたならば、それはハラスメントだが、理屈に則って業務のために必要だからと添えられてしまうと、受け取らないわけにはいかない。受け取ったものの、心の中でしたい反論もできずに、落ち込んでしまっているのだ。なぜかというと、プライドが邪魔をしているのだと思う。

 

あたしは"普通の"家庭で育ったわけではない。きっと、"普通の"人生を歩んでもいない。そして、それに負い目は感じることもあるが、生き延びていることを誇りに思っている。友人らにも恵まれている。良好な関係性が家族の外にもある。そんなあたしが社会では、コミュ障だと言われる。素直にショックだ。

 

そこで、今までやらずに済んだ、信念を持って避けてきたことをやろうと思っている。仕事用のペルソナを持つのだ。対社会用の自分を作り上げる。彼女は普段のあたしと違うマインドセットを持ち、コミュニケーション方法も違う。これまでは、あたしはいかなるときもあたしでいたかったから、必要に迫られても、この選択はしないできた。改善が必要ならば、あたし自身を改善するように心がけてきた。でも、今はそれではやりきれない。あたし自身と全く異なる人を、ステージママのように、自分の中に作り上げるのだ。おそらく日本の働く人たちはとっくの昔にやっていることだろうと思う。あたしはそんなのはクソ喰らえだったのだ。

 

スペイン人の友達に、このアイデアで解決しようと思うと伝えたところ、はちゃめちゃに心配された。そんなことをしたら、精神状態に悪影響が出るからと言う。そうなんだよ。だから、あたしはしてこなかった。でも、ここは少なくとも日本なんだよ、しないといけない環境なんだ。そう自分に言い聞かせるように反論した。海外でも同じかもしれないが、少なくとも日本だからだと言えるだろう。

 

まだ対社会用のあたしは胎児のままで、はっきりとした形にはなっていない。今日は口が痙攣するほどに、口角をあげることから始めてみた。あたし自身がそれに反対していることは変わりない。実験的に、戦略的に試しているだけだ。あたしの今まで生き抜いてきた誇りも変わらない。しかし、これは、これからも生き抜くための戦略だ。そう捉えようと悪戦苦闘している。

 

プライドなんてないと思ってたけど、そんなことはなく、プライドなんてものは、簡単に権力にへし折られるものだ。戦うよりも、しなやかに生き残ろう。明日もあたしは生きてやる。